2011.2.11

母校、京都市立芸術大学の京都市美術館での年に一度の制作展が、ある若者にTwitter上で酷評、というより罵倒され、京芸の学生たちには動揺が広がっているようだ。
そもそも芸術は、割り切れないことを表現するためにあるのであって、正否を論じるようなものにもなり得ない。ただそれは一般化しないという意味であって、芸術に関わる各々の中にはある程度の確固たるものがなければ、芸術を行為するのはむずかしい。結局今回はそこを突かれたわけ。その発言をした彼は、自分の価値観を押し付けたのであって、これは本来筋違いだし視野の狭さを露呈しただけ。売名の意図はどうかわかんないけど、しかしそれは彼ひとりの問題。
今回の問題は言われた側の学生たちの反応であって、もし動揺していたとしたら、それは自信のないことを表している。あれっ、と気づかされたのだね。その気づきが今後に活かされることを希望。

ただ、大事なことがある。彼らはまだ学生だということ。変に背伸びするのでなく、学生である特権を利用して、学生でなければ出来ないことをするのが、学生を経験する意義だし、それが将来、学生を経験していない人との差を生むのではないか。プロのアーチストのマネごとをしたり、起業したりはいつでも出来る。誰からどんな風に言われようが、今はこれをやるときだ、という信念があれば、何もうろたえることなどない。意見はいろいろあって当然。でもそんなこと関係ないよ。

今日は真面目っ!

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