2008.01.17

2日ほど前に「柳家小三冶の落語1」という本を買った。過去に例があるのかどうか知らんが、個人的には落語の語りをすべて文字に書き取って本にしたものって見たことがなかった。ものすごく面白そうな気がした。実を言うとこれで落語を自分の手中に収めたみたいな気になりかけた。でもそれは違うでしょ。小三冶さん本人も「前口上」という前書きでこういうことを書いている。

 この本に載っている口演は、あんなやり方もある、こんなやり方もある、と私自身いろいろ変化しながら、ある時たどり着いた一つのかたち、その時こういう姿で演ったという一つの記録に過ぎない。けっして私の金字塔ではないのです。

結局すべてはそうやって変化していくのだ。それは洗練されていくということとは違うのかも知れんけど。人間が変化し続ける限り芸術というものも変化をやめない。目標はあるけどゴールはない。目指し続けることが芸術行為であり、人生そのものなのだな。

ところで僕はかねてからユーモアやギャグといったものを、文章化することが出来るのか、ということに非常に興味を持っている。実はそのヒントがこの本に隠されているのかもしれないなどと期待もしたのだ。浅はかか? ま、まだ「前口上」しか読んでないのだが。

夜中にテレビをつけっぱなしにしていたら、ある韓国のドラマに遭遇した。セリフはすべて字幕で表現される。これが意外と面白い。ここにもヒントが隠されていたのだ。

とにかく面白いことでいっぱいだ。

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