2009.01.16

今日はまた久々に電車で。堂島のJ堂に到着するなり小説コーナーへ。棚を3か所くらいみてから、おお、今日の目的はそれじゃないと気付く。結局目的のモノは見つからず、小説を4冊。ダメじゃん。

A屋で目的に近いもの一点購入。予想をはるかに超えた困難にぶち当たってるな。帰りの入口で中年男女が向かい合って突っ立ってると思いきや、いいです、いいです、いやいやそういうわけには、と譲り合っている。どうせ大したものを譲り合ってるわけじゃないだろう。にしても、それがとおせんぼして、周りに多大な迷惑を及ぼしているとなると、まあこれ程醜いものもない。階段を下りきったところで座り込んで本を読みふけっていた若い女子の方がはるかに無難をいっている。

結局、最後に寄るはずのK屋はタイムアップでギブアップ帰宅。最近は少し切符を買うのがスムーズになったかも。少なくとも後ろの人を待たせたりはしていない。

芥川賞の発表あり。今回の受賞作は読んでないし掲載誌も持ってなかった。わざわざ買って読むかどうか、ちょっと迷う。

それにしても最近は芥川賞への風当たりがきびしいみたいで直木賞に注目が集まりがちか。「芥川賞ってなんかむかつく」とか「面白くない」「わけわからん」みたいなことを言う人が僕の周りにも何人もいる。純文学というのは日本独特の文学の形なのに、それがどうも斜陽を迎えていると。しかしどうなの? 純文学と大衆文芸の垣根が壊れて来ているとはいえ、依然として純文学は存在しているし、なぜかと言えば、それは人間だから。

こういう例えがどうかわからんけど、でも僕に言わせれば、大衆文芸はディズニーランドで、純文学は美術館、みたいな感じ。ディズニーランドは、誰でもいつでも同じように楽しめるように、計算し尽くされ、完璧に作られた世界だから、まともな感覚を持った人なら誰でも楽しめてしまう。僕みたいな人間でも、嫌が応にも楽しまされてしまう。でも、美術館では楽しみ方を知らない人は置いてきぼりで、もやもやを残したまま、なんだか入場料を損した気分で帰宅する。

僕がテーマパークや、テレビドラマや、テレビゲームなんかが嫌いなのは結局そこに理由があって、同じ手口でダマされた大勢の詐欺被害者の一人になったようで、なんだか虚しい。エンターテインメントは程々が良い。人を成長させる芸術に触れるなら、あるいは触れ方を知るなら、世の中もっと良くなるはず。芸術とはそういうもの。

あ、音楽はどうなの?という声、聞こえました。同じ曲を聴いて全く同じ反応をした人なんて、見たことないですけど。感覚が麻痺してなければね。

「銭ゲバ」がテレビドラマに! でもそれ、キャスティング間違ってるのでやり直して下さいね。

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