2010.11.16

日々Twitterでは僕の日常、僕の思想、僕の皮膚感を表現している。そんな中、今日、作家の山川健一氏のツイートに目がとまった。
「作家は行動する:  あらゆる表現は、現実的な有効性は問わない場所で紡がれるべきだとぼくは思う。この小説を書くことで社会が少しでも良くなる──原理的にそのような文学はない、という意味だ。 芸術とは制度からこぼれ落ちていく個...
http://bit.ly/alpunK
これは常々僕が思っていることだったが、ここまで明確な同義の発言には初めて遭遇した。芸術を政治的な発言の道具として使ったり、作品自体をある意味の武器としたりすることは、どうしても看過出来ない。それは本来の芸術の意味を全く取り違えていると思うし、そんなことで世の中が良くなるとも思わない。芸術には芸術のスタンスというものが、確固たるかたちでちゃんと用意されている。
それは絶対的なものであって、こうでもいいじゃないかというような余地は、どこにも用意されていないとも思っている。僕に言わせれば、だからこそ芸術は至高。政治のために芸術を使うのではなく、芸術のために政治を使うべきなのだ。
このツイートに対して僕はごく自然に思うところを返信した。
「僕も政治的な発言は何か一線を越える気がしてなりません。でも国が死に向かっているときは葛藤があります」本音。

とここまで書いて、出かけて帰って来たら、あ、山川さんが僕をフォローしてくれていた。リプライもくれていた。
「今こそ吉田松陰の草莽崛起(そうもうくっき)の思想(志を持った在野の人々こそが日本の変革を担う原動力になる)が大切だと思います」
うわ!めっちゃ難しい言葉。

でも、意識なく突き動かされるような時にこそ、何かが動き、次のステップに進んでいくのだ、というようなことを感じた日でした。意味わかんないか。
山川健一氏は僕のちょうど100人目のフォロワーになった。

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