2011.4.3

たとえばだけど、
Kが2才の時、二つ目の保育所に通い始めて数日目。迎えに行ってみると、先生が「おなかを壊しちゃったみたいで…」と。担任はKを着替えさせ、もうひとりは服を洗ってくれていた。小さなKは、僕の顔を見るなり駆け寄って泣き出した。まだ慣れない場所にあって、泣くことすら我慢していた彼の、このときの様子が、記憶から薄れたことがない。
こういう小さな記憶などというものは、誰にでもあるはずで、ひとはそれを積み重ねながら育ち、歳を取る。と言うより、人それ自体が記憶の集積みたいなものかも知れない。
何が言いたいかと言うと、そういった記憶、そういった人や、そういった場所。そんなものを一度にざーーっと流して、全てないものにしてしまうというそんなものが、この世には存在するのだな、と、今更ながらあらためて認識して、でも、それがどういうことなのか未だ理解出来ずにいる。
ただ、変化はいかに悲劇的に見えても、そこを乗り切った人にはチャンスでもある。変化が大きいほど、大きいチャンスでもある。そういうモノの考え方しか出来ないんだけれども。

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