2008.07.05

最近思うのは、結局すべてはつながっていて、何もかも一緒くたでひとつなのだということ。

言葉というものはあくまでもその定義や概念だが、例えば「自然」という概念があってそれはあるひとつの「くくり」である。要するに「自然」と「自然でないもの」とに事象を分類するための言葉だが、少し考え方を変えてみると「自然でないもの」って何なのかわからない。いや、本来人間の手が及んでいないものを自然ということくらいは知ってるが、そういうある意味傲慢な主観を外してみたら、結局全ては自然やんかと。僕がここで今、これを書いていることも、ガソリンを燃やしながら車で遠方に出かけたりすることも。

例えば某有名大学の某教授が「火の玉」を科学的な検証によってその発生メカニズムを解明し、あるいは編み出して、実際に「火の玉」を作り出したとしても、当然ながら、それが全ての「火の玉」を検証したことにはならないし、それが霊的なものと関わりがないという証明にもならない。当たり前だが、そんなに物事は単純じゃない。

こういうことを書くと「あなたは霊の存在を信じてるんですね」とか、ちょっとずれたことを言う人がいたりするけど、はっきり言ってそんなことはどうでもいいし、あまり興味がない。だってどっちにしたってわかんないし、自分で調べようとまでは思わない。そもそもすべての人がどちらかに属するなどと考えるなんて不思議だね。ただ、そういう概念が人のアタマの中に存在するということは事実だし、いろんなものを見たとか、感じるとか言う人も限りなくいて、僕も変な経験はしたことがある。要するにそれら全てを一緒くたにして、それが現実だという話で、あるのかないのかなんて議論に意味があるとも思えない。それよりあなたは本当に存在してるんですか、それ証明できますか、と。占い師の価値は、当たるか否かでなく人としてのレベルでしょ。

ダーウィンの進化論と聖書の物語が矛盾するという話も、そう言ってしまうのは簡単だが、そんなの頭が固すぎて面白くも何ともない。面白くないものってその存在が罪悪、という気がする。というより「面白くない」という判断も所詮は主観的なものでしかなくて「おおらかさ」によって何でも面白くしてしまえるんではないかとは思う。で「おおらかさ」は結局全てを一緒くたに一つの存在として捉えてしまう。そして「単純でない」と書いたが、実はびっくりするほど単純だったりもする。複雑にしているのはその人の思考なのだと。だから某教授の思考が単純だというニュアンスで書いたが、ある意味、やはりそれは複雑すぎるとも言えるのだ。

以上の文章で僕の言いたいことがちゃんと伝わるような気もしないが、まあ、そういうことだな。自分でも何書いてんのか分けわかんなくなってきたし。質問は受け付けません。はは。

ウチに出入りしていた子猫のどれかが、最近隣のアパートのガレージ内で車に轢かれたんではないかという噂が聞こえて来た。(以前にマンションと書いた記憶があるが、どう見てもマンションというほどのものじゃない) 車が動いた瞬間に猫の「ギャーン!」というものすごい悲鳴が聞こえたとか。そういえば2〜3日前に、子じゃなくて母猫が、右の後ろ足をかすかにひきずって歩いているのをちらと見かけた。それかもな。ガレージを見てみたが、血の跡みたいなものは何もなくて、大きな事故ではなかったように思えるが、何にしても猫には暮らしにくいよ。猫が本来あるべき形で生活できる場所ってたぶんないんやろね。

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