2009.07.13

少し前からずっと「Billie Jean」がアタマで鳴ってる。ちょっと取り憑かれた感じだな。それにしてもBillie Jeanて何者? なにか魔性のようなものに思えてしょうがないが。

最近は役に立たないものに興味がある。興味がわいたものがたまたま役に立たなかったのではなく「役に立たないもの」に魅力がある。「役に立つもの」ってそれはきっと目的を持ってるし、テストを受けてるかも知れないし、許可を得ているかも知れない、そしてもしかしたら常に監視下に置かれているのかも、でも「役に立たないもの」は常にフリーだ。何にも束縛されることがない。他人の意見は風のようなもの。そんなまったく何の役にも立たないものに僕はなりたい。そんなことを考える。現状、僕はほんのわずかに役に立ってしまってる。

呼び鈴が鳴ってインターホンに出ることが出来なかったので、直接玄関へ出たら、その辺りをよく歩いている宗教団体の人だった。大して話すこともなくただ1枚だけリーフレットを置いてゆく。
「どうすれば世の終わりを生き残れますか」
メインのコピーは意味不明、というかトンチンカンだ。多くの宗教は「救われたい」「助かりたい」あるいは「恵まれたい」「いい思いをしたい」という利己的な意識の人の集まりだと、僕はかねがね思っていた。そうでないとしても結局そこにゆだねるのが自分個人でしかないことは疑いようがない。でも「この世の終わり」なんていうものがクローズアップされて来たら、もう小さな人間の利己なんて消し飛ぶ。人類が滅亡するとしたら、テーマは「人類が存在した意義」みたいなところへ行かざるを得ない。かといってその答えは人には出せないし、小さな個人にとってはどうでもいいことだ。そうなるともう人間なんてカラッポ。思考は堂々巡りを続ける。赤の他人が構築した宗教や哲学に身をゆだねることは、結局自分の人生を自分で管理出来なくなったともとれる。それでいい人はそれでいいが、少なくとも現状の僕はそれでは生きられない。それが存在意義だと思ってる。話が大きくなりすぎて、まとまらなくなっちゃった。

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